青色えのぐ


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他人を見る目(たにんをみるめ)2

五十メートルも歩いたところで手を離し、あの青年が追いかけてきてないことを確認。私は少女を安心させようと微笑みかけた。

「いやあ、あれを見てたらなんかイラっときてさあ。余計なことだったらごめんね」

少女は私を見つめて絶句していた。

口をぱくぱくさせている。

私も驚いて息を呑む。

「えーとどうしたの? ……大丈夫?」

顔の前に手をかざしてみると、はっと少女が我に返り、私に掴みかからんばかりに身を乗りだして言う。

「あ、ありがとうございます! たすかりました!」

いくらなんでも大げさだとは思うが感謝されて悪い気はしない。が、押しつけという点であの青年とやっていることは変わりないので調子に乗るのは禁物。引き際が肝心だ。

「だったらよかった。それじゃ私はここいらで」

踵を返し背中越しに手を振って格好よく去ろうとする。

「あの――えと、お名前は」

名乗るほどの者ではないですと言おうとしたら、

「あたしはサヤです。夕凪沙耶、です」

先に自己紹介されてしまったので反射で私も応えた。

「私のことを知るものは、みなケイと呼ぶよ」

「ケイさん……」

じゃ、と言って別れようとした私をなおも少女――夕凪が呼び止める。

「あのう。よろしかったら」

夕凪は控えめに、ほかにファストフード店を知らないか、と尋ねてきた。

「朝からずっと歩きっぱなしでお腹がすいてしまって。えへへ」

「あー」

そういえば。

「だから、あそこにいたんだよね……」

「です」

空腹に耐えかね食事をしようと寄った先でしつこい勧誘活動に遭うとは災難だ……。私ならたぶん泣いてしまう。

とはいえいったん逃げた手前、またあそこに戻ってばったりあれに出くわすといろいろ気まずい。私としてももう一回トムになりきるのは精神的にきついものがあった。

自分から関わったからには最後まで責任を持つべきだが。

「あー、ごめん。よくわからないや。私もつい最近こっちに来たばかりでさ。案内できるほどこの街を知らないんだ……」

「ううう……そんな。ハンバーガーが……あたしのハンバーガーが……」

どんよりとした、いまにもくずおれそうな夕凪の雰囲気に気おされる。このまま放っておいたらたいへんなことになりそうな気がした。

「よ、よかったらいっしょに探そうか。私も道を覚えたいし」

「ありがとうございます! さあ行きましょう!」

私が提案するなり夕凪はえらい勢いで元気をとりもどして表情を輝かせた。あいている私の右手をがしりと掴んでぶんぶん振り回す。……この少女は感情の起伏が激しいというか、行動が大胆で直裁的というか……。

なんだかいっしょにいたら疲れそうな気がした。

「あ、これもありがとうございますね」

私があげたチョコミックスのソフトクリームを食べながら、夕凪が微笑む。

「どういたしまして」

…………。

さて、さっさと探すとしましょうか。

どうせ今回もまた駅周辺をうろついていればたどり着く類のものだろう。隠れ家でもなし、商売をするからには人が集まるところに店を構えるだろうから。

特に示し合わせるわけでもなく私が歩きだすと夕凪が隣に並んだ。

大通りには、車道に自動車の群れやら歩道に人間の群れやらで騒音で満ちていた。

「ケイさんは格好いいですよねえ」

「そう? あまりそういうことは言われないなあ。私ってほら、いつでも部屋の隅っこのほうでひっそりうずくまってるタイプの人間に見えるでしょ?」

「そっちのほうが意外ですよ。……い、インドア派ということですか?」

まあそんな感じかなあ、と曖昧に答える。

「そういう夕凪ちゃん――」

「サヤです!」

「サヤちゃんこそよく可愛いって言われるでしょ」

「え、そ、そんなことは……ありますけど。えへへ」

こほん、と咳払いをしてまじめな表情を繕うと、夕凪は顔をずいっとこちらに寄せて内緒話ふうに囁いた。

「ところでケイさん、ずっと気になってたんですけど」

「……なにかな?」

私は思わず立ち止まって姿勢を正した。

気になっていたこと、ってなんだ。ほっぺにご飯つぶついてますけどそれは宗教上の理由ですか、とか? いや、しかし今朝はトーストだったからご飯つぶがつくはずがない。

急変した夕凪の態度にたじろぎながらも、私は平静を装って口をひらく。

「なんでも訊いてごらんなさい」

「ケイさんって……」

ごくり。

喉を鳴らして身構えた。ここにきて「あなたは神を信じますか」なんてやられた日にはきっと私は立ち直れない。

「ケイさんって、どこかのアイドルさんだったりします? いえ、タレントさんでもモデルさんでもいいんですけど」

だけれど夕凪の口からは予想外の言葉が。

「え……、それは、どこかで見たことがある、……ってことかな? 私のことを?」

当然だが記憶を失うまえの私がなにをしていたかだなんて知るよしもなく。

夕凪は、戸惑っている私の表情の変化を逃すまいとじっと見つめ、私としばらく睨めっこを続けてから、

「いえ、そういうご職業の方なのかなあ、と思いまして。雰囲気とか。見た目とか」

そんなふうに私は見られているのか……。

……これも手がかりといえるのだろうか?

私はそうかなあ、と呟いて歩きだした。

夕凪も早足で隣に並び、二人して、しばらく言葉なく歩き続ける。

なんだか微妙な空気になってしまったので私から沈黙を破った。

「それにしてもないもんだね」

「ですねえ」

「必要なときこそ探しているものが見つからない法則、ってあるよね」

「ありますねえ。ポテチの袋があかなくてハサミを使おうと思ったらどこにしまったか忘れちゃうみたいな」

誰しもそんな経験があるだろう。

私にとってはこれが、記憶にあるかぎりでは初となる。

「いや初じゃねえな」

「え?」

「なんでもないよ、独り言」

だって私は記憶そのものを探しているのだから目覚めた瞬間から進行形で嵌りっぱなし。今後もしばらく世話になるだろうから、この法則には的確かつ呼びやすい愛称をつけておくべきかもしれなかった。

「……と、あれか」

「あ、ありましたね! 見つけましたよ! ついに見つけたんですよ! いやっほおう!」

やっとこさ目当ての建物が見えると夕凪が駆け出し、と思えば振り向いて、はしゃいで言う。なにかを成し遂げた達成感のようなものが窺えた。

ハンバーガーくらいでそこまで嬉しいものなのだろうか、と考え、脳内でソフトクリームに置き換えてみたらなんとなく夕凪の気持ちがわかった気がする。

とはいえ私ならもうすこし控えめに喜ぶだろうけど。

「ケイさん! お礼になにか奢りますよ!」

「いや、ありがたいけど辞退するよ。そろそろ私も行かなくちゃね」

元をたどれば半分は私のせいでもあるのだからお礼も何もないだろう。それにすこし疲れてしまった。はやく帰りたい。

夕凪は残念そうに肩を落とすと、

「そうですか。ありがとうございました」

「じゃあね」

私は夕凪を見送りもせず、さっさと踵を返した。

そういえば視線の感覚が消えている。長いこと夕凪といっしょだったから、相手も警戒したのかもしれない。

 

◆ ◆ ◆

 

それはそうと喉が渇いた。

曇り空とはいえ風通しの悪い身なりで街を出歩けば汗をかくのも当然のことで、汗をかけば身体の水分が失われる。

私たちは発汗により体温調節を行っているが、水分が足りなくなるとこの機能がはたらかず身体に熱が篭りだす。すると体調に変異をきたし、目眩や嘔吐、さらには意識を失ったりそのまま死にいたることもあるのだとか。

本来なら喉が渇いたと感じるまえに水分を補給するのが理想なのだが、幸いにも、いま目の前に自販機がある。

ならばこの機を逃す手はない。

私は油断なく自販機に歩み寄る。

一見、窮地を脱したと感じる場面こそじつは危うい。

たとえば、手を滑らせてコーンポタージュを押しちゃうとか、見知らぬ誰かにおしるこを押されちゃうとか、お金を入れても反応しない可能性だってある。

取り出し口でしくじればすべてが水の泡だ。

だから最後の瞬間まで気を抜いてはならないのだと、私は知っている。

「たしかあまりに汗をかいてるときのスポーツ飲料はよくないんだったか。ど、れ、に、し、よ、う、か、な」

じつは財布を落としていました、などというベタなアクシデントにも見舞われず、私はなにを飲もうか目で商品を選ぶ。

そして私は呟いた。

「ところで日本のことわざに『大は小を兼ねる』というのがあったが、すまん、ありゃ嘘だ」

だって自販機が万札を飲み込むことを拒絶する。財布を片隅まで探ってみたけれど小銭はあらかた使いきり、私はまったくの無力だった。

「…………」

ふう、と口笛になりきらない半端な吐息。手のひらに滲んだ汗をぬぐう。

私は試しにつり銭口に手をつっこんでみたが期待ははずれ、つぎにすることと言えば――自販機の底の隙間をのぞき込むしかあり得ない。

そっと屈むと手のひらにアスファルトの温度が感じられる。オーケイ。ノープロブレムだ。あとは覚悟を決めて腹をくくって、

「あのう」

うしろから声をかけられた。

不思議なものを見ている、という風な声音。どこかで聞き覚えがある。

振り向くと、ひらひらしているタンクトップっぽいの(名前がわからない)と膝上までのハーフパンツという軽装に短めの髪がよく似合う年頃の少女が、小首をかしげて立っている。

というか夕凪だった。

「なにをしてるんですかあ?」

「あっはっはっは」

なぜだか私の喉から笑い声のようなものがでてきた。


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