ミルキーウェイ(みるきーうぇい)1
そして時間軸は現在へともどり。
私がこのふざけた状況に放り込まれてから六日めの朝。
◆ ◆ ◆
またあの夢だ、と意識の片隅で感じつつ、それでも私は森のなかを歩いている。
風で木の葉がざわめいて、どちらを向いても果てがなく木々が立ち並び、ほの暗く一面に広がる緑色。おなじような風景ばかりがひたすら続くものだから方向の感覚はすでに失われていた。
あたりに気配はなく刺さるような静寂で満ちている。しかし、――だれかの視線は相変わらず。
矛盾としかいいようがない。
私は野生の動物でも相手にしているのか? あるいは魔物や妖怪といった超常の存在? 神や悪魔がご大層にもちっぽけな人間の観察日記をつけているとか?
……馬鹿馬鹿しい考えだ。どうせこれは夢なのだから。
ここで起こることにあらゆる理屈は通用しないし、いちいち思いをめぐらせても徒労でしかない。
そんなことはわかりきっている。
ならば。
そこで立ち止まればよいだけなのに。
それでも、私は歩を止めることなく。
きっと私はなにかを探しているのかもしれない。
……やがて、だれかの呼びかけで私は現実へ引き戻される。
ようやく慣れてきた天井と、愛しの同居人の微笑が見えた。
「おはよう、……蒼。もう朝なのか」
寝転んだまま大きく伸びをすると私は口をひらいた。背筋が軋む。
「おはようマスター。よく眠れた?」
蒼が床に手をつき前傾の姿勢で私の顔を覗き込んでいた。
「うん。ぐっすり。とてもいい朝だ。やっぱりベッドのスプリングは硬めのほうがいいよねえ。やたら背中がしずむのは気持ちがわるい」
「やっぱり布団で寝たらどうかなあ。旅先で枕を変えたら眠れないっていうじゃない。寝るときの習慣はそうそう変わるものじゃないよ」
呆れの表情を隠しきれず、しかし彼女は何気なさを装って、ひかえめに私に提案するのだ。
すると私は意味もなく反論してしまう。
「え、なにかい蒼。きみはもしかして、いま私がこうして床で転がっているのは、私の寝相が悪いからと考えているわけ? 私はベッドから転げ落ちたとでも言いたいわけ? だとしたら蒼、それは誤解だよ。考え違いというものだ」
「意地を張るのもいいけど、寝違えて痛い思いをするのはマスターだよ……」
「でも、せっかくあるのだから使わないと損した気分にならないかい?」
「ふだんは椅子みたいに使えばいいよ。……もう、マスターが寝返りを打つたびに、ボクがどんな思いをしてるか考えてほしいかな」
「それはすまなかった」
「ほんとうにそう思ってる?」
「もちろんさ。私は世界で一番、素直だという自信がある」
「……もう」
見ると、目覚まし時計どもが働くにはまだ五分ほど間があった。起床後に鳴り出す目覚まし時計は、課題に取り掛かろうとした直後の催促コールとおなじくらい無闇に腹が立つ。
なのでさっさと、片端から息の根を止めた。
これでよし。
「あと五分」
「だめだよマスター、せっかく起きたんだから。はやく顔あらっておいでよ。ごはんできてるよ」
「はーい」
もはやこういったやりとりはお約束になりつつある気がするけれど。
飽きもせずにくり返してしまうのは、それだけ私自身、気に入っているのだろう。
「それにしても」
――夢、か。
なにか言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、と思う。誰とも知れない、もしかすると居るかさえわからない相手に対して。
洗面所でおざなりに顔を洗い、食卓についてぼうっとしながらトーストをかじり、コーヒーカップを手に取ったところで、ちょっとした疑問が私の頭に浮かんだ。
「ねえ蒼。なんでまたコーヒーなんだろうね? いつも私は紅茶を飲んでいると思うのだけれど……」
「ええっ?」蒼は首をかしげる。「だって買ってきたのはマスターだよ。ボクはあるものを出しているだけ。ずっと、目を覚ますためかと思っていたよ」
ああ、それもそうか。そのとおりだった。
蒼は人形だから人目に晒すことはできない。だから私が必要なものの一切を買いに行く。このインスタントコーヒーにしても、紛れもなく私の意志で購入したことを記憶している。
「紅茶がいいなら葉っぱ買ってきてくれたら、つぎからそうするよ。おいしい紅茶のいれかたも知ってる」
そうは言っても、これといってコーヒーが嫌いということでもないし。
「勿体ないからコーヒーを使いきってからお願いしようかな」
「そうだね」
蒼が微笑んでうなずいているのを見て、……今日の私の思考はクエスチョンマークばかりにたどり着く。それらは妙にざわついて胸のあたりをしめつけるのだ。
「――砂糖」
「え?」
「角砂糖、さ。私がコーヒーに入れる角砂糖。四個がベストなんだよね。三個でもなく五個でもなく、四個」
「うん……?」
不思議そうに蒼が、私を見ている。
「なにかのなぞなぞ?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。なんで蒼は、最初にコーヒーを淹れてくれた朝、私にちょうどいい数の角砂糖を用意できたのか、って、ふと思って」
頬杖をついて、私は蒼の瞳を覗く。
自分でも私の表情のこわばりが、感じられる。
「マスター……具合でも悪いの?」蒼が私の額に手を当てた。「うーん、熱はなさそうだなあ」
ははは、と笑って私は言う。
「どこも悪くないよ。純粋に好奇心さ。人付き合いのこつを知りたくてね」
なるほどと蒼が手を打った。
「そういうことならタネは簡単だよ。こつというほどでもない。何個でもいいんだ。すこし多めにわたして、余ったらつぎから減らす。足りなかったら増やして、数を覚えるだけ。……最初からぴったりだったのは偶然だね」
「へえ、そういうものなのか。……勉強になったよ。やっぱりいいお嫁さんになるだろうなあ、きみは」
言って、私が蒼の頭をなでると、彼女はくすぐったそうに笑う。
「えへへ」
私は、彼女の笑顔をずっと見ていられたらよいと思う。
とても安らぐような気がするから。