青色えのぐ


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雪割荘(ゆきわりそう)2

どうやら事態は珍妙極まるようだ。

私が“お爺さま”のお客であることは、まちがいないらしい。……「らしい」というのは私を“お客様”であると証明する手段が紹介状という形でしか存在しなかったから。極端な話、紹介状さえあれば誰でもよかった、とまで言い切れる。

氷室は氷室で“お爺さま”には近いうちに客人を迎えるよう言いつけられていたが、自分が管理している以上、素性の知れない者を置いておくのは我慢がならなかったと、そういうことだ。

なぜ私が管理人に知れず勝手に入居していたかについては朝比奈が説明してくれた。

「ケイさんたちがきたのは昨夜遅くでしたからね。氷室さんは寝てましたから、僕が案内したんですよ。鍵を持ち出したことは朝になって説明すればいいかと思ったんですが、つい、うとうとしちゃって」

すみません、と謝る。紹介状もそのとき確認したそうだ。つまり騒音で目を覚ましたらしい朝比奈の先ほどのフォローは順序が変わったというだけで、――あれ?

「私、たち、ですか?」

複数形? ……私のほかに室内に誰もいなかったはずだが……? 朝比奈が不思議そうにこちらを見る。質問の意図が伝わらなかったようだ。

「えーと、私のほかに誰がいましたっけ? ははは、よく覚えてなくて」

「ああ、」朝比奈は何か合点がいったようだ。「ケイさんお疲れのようでしたねえ。マネージ……お友達の方がぐっすり寝ているケイさんを背負ってらっしゃって」

「名前はなんと?」

「あ、そういえば聞きませんでしたね。無口な方でした」

「そのひとは、どんな格好してました? ……あとでお礼を言っておかないと」

「ははは。大きな鞄もいっしょで大変そうでしたね。お手伝いしようとしたんですが『大切なものが入っている』と。うーん、どんな格好、か。これといって目立たないひとだったなあ。黒いスーツを着ていたことくらいしか印象に……」

そういって首をかしげ、また謝るのは朝比奈の口癖だからかもしれない。

「いいえ。ご迷惑ばかりかけて申し訳ありません」

すると唐突に口を挟んでくる氷室。

「まったくだわ」

伝わってくる雰囲気からすると機嫌云々でなく先ほどの騒動でよく思われていないのかもしれなかった。

私は愛想笑いを浮かべて応える。頬が引きつりそうだ。

さあて、まだまだ訊きたいことはあるが質問ばかりするのは傍目から見てもおかしい。おもに朝比奈と氷室のあいだで交わされる会話の相槌に徹する。これから晴れる日が続きそうだとか今夜の献立はどうしようだとか、そんなどうでもよい話題だった。

朝比奈が台所に立つと氷室は「いつもすみませんねえ」みたいに年寄りくさいことを言っているが、せいぜい二十代それも前半といったところだろう。……ちゃんと笑えるのかよ。

かと思えば、こちらには射抜くような視線を向けてくる。

すると私は本格的に氷室に嫌われたらしかった。まあ、べつに困らないが。いまは適度に距離を保っているほうがなにかと都合がよい。

そんなことより私を運んできたという“お友達”……か。たぶん誰よりこの事態を把握しているのはそいつだ。なんとかして捕まえたいところだが……。

私が無言でお茶の水面を覗きこんでいるのを変に感じたのか、朝比奈が声をかけてきた。

「どうしました? ケイさん。顔色があまりよくないようですが」

「いえ、すこし眠いだけですよ」

「そうですか。無理なさらずに」

「ありがとうございます」

私もだいぶ落ち着いてきたようで、それなりに怪しくないと思われる反応をとれるようになってきた。

しかし。

内心落ち着かない。

依然としてわからないことが多すぎる。

それどころか目のまえの二人にしても信用してよいものか疑い始めたらきりがない。

ふたりの会話も右耳から入って左耳に抜ける始末。

せっかく朝比奈が作ってくれたフレンチトーストも食べきれず(好み云々でなくのどを通らない)、体調が優れないからと言ってさっさと引き上げた。

 

◆ ◆ ◆

 

自室に戻ってまずはじめに“鞄”を確認した。

「それらしいものは……三つ」

……室内の調度はどれも几帳面に整頓されているが、それらだけ私が目覚めたとき同様、床に投げ出されてなじめていない。

ひとつは画材入りのボストンバッグ。一目で使い込まれているとわかるそれは乱雑に扱われたのか口をひらき、内容物をぶちまけていた。先ほどのパレットナイフもここから飛び出したものだろう。絵の具やら鉛筆やら、その他いろいろ散らばっていた。

これといっておかしな点はなくふつう。

次に、金属製のアタッシェケース。叩いてみると硬い感触。頑丈な造りであることを窺わせるテレビドラマでお馴染みのあれだ。大抵の場合、中に数えきれない札束が入っていて見る者を驚かせたりするのだが。

「……そんな馬鹿な……」

私の目に飛び込んできたのはお約束にたがわず、札束、だった。

万札がケースに隙間もなくぎっしりと詰まっている。気が滅入って数える考えもおこらず閉じてしまったが、おそらく数千万単位だ。

「なんだよ、これは……」

思わず目を覆った。

へたりと座り込む。

私はいったい何をしているんだ? 私はいったい何をさせられているんだ? まるで思いだせない。記憶をたどろうにもなにもない。でも、どう考えても真っ当な話でないことくらいはわかる。

そしてなお困ったことにこの状況下で私がこいつと無関係であると推測するにはあまりにも材料に乏しかった。

夢ならさっさと醒めればいいのに。

どこか他人事のように考えながら。

……最後の鞄を見遣る。先の二つよりやけに大きい革製。重厚で、華々しく装飾が施してあり別格の雰囲気。あまりに恐れ多いため後回しにしてしまったが、……たぶん朝比奈が言っていた“大きな鞄”というのはこれのことだ。

「……何が、入ってやがる」

ごくりと喉を鳴らしてそろりと手をのばす。

かちり、とあっさりふたが開くと中には膝を抱えて丸まるように人形が収まっていた。

ため息と共に全身が脱力。どれほど恐ろしいものがお出ましするのか歯を食いしばって構えていたけど、むしろこれならご褒美です。

ささくれ立っていた気持ちが嘘のように静まってゆく。

「よくできているなあ」

人形は真っ白い長袖ブラウスに青いケープを羽織り、裾口が細くなっている青い半ズボンという装い。西洋風、と言ったところか。栗色の柔らかな髪が頬にかかり、瞼は閉じられ眠っているように見えた。寝息さえ聞こえてきそうな出来だ。

「すげえー」

思わず頬ずりしそうになったくらいである。

 

◆ ◆ ◆

 

実際に頬ずりしようと抱きかかえたところで人形――蒼が目を覚まし、腰を抜かしたことは忘れてしまいたい。


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