青色えのぐ


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目覚めの確認(めざめのかくにん)1

鬱蒼と生いしげる深い森の中、ひとり私は歩いている。

視界のかぎりに木々が広がり幾重にもなる木の葉の層が陽光を遮るためかほの暗く、幻想的だ。なぜだか足を踏みだすたびに返ってくるふわふわとした感触が頼りなかった。

――ここはどこで、私はだれなのか。

いつからこうしているのだろう――。

気がついてから何度となく自問しては眼前の風景に気をとられ、私は思考のやり直しをくり返している。

ともなれば、そのていどの疑問などさほど重要ではないのかもしれない。

そうして当てもなくさ迷い歩いていると、ふと何者かの視線を感じた。しかし辺りを見回しても木、木、木。私よりはるか背の高い樹木がひたすらに立ち並んでいるばかりで、それらしいものは目にとまらない。だからといって気のせいであると切り捨てるには、……その感覚は明確すぎた。

やがて森の果てまで来たのだろうか、木々もいくらかまばらになり木の葉の天井の切れ間から光が差しているのがわかる。たぶん、こちらでいいのだろう。私が目指すところはこの先にある。

そうして歩を進めようとすると、……どこからともなく鳥の囀りと羽ばたきの音。木の葉が風にざわめくなかで、誰かが私を呼んでいる――

 

◆ ◆ ◆

 

――というのがここ数日のあいだ続けて見ている夢だった。いずれも時間や位置の前後や差異はあるけれど、誰かの視線やら呼びかけに気づいたあたりで決まって目覚める。

夢占いに詳しくはないが何らかの意味があるのだろう、とは思うけれど。

いいかげん慣れてきたせいか、こうもくり返されると飽きもくる。仕方がないのでぴりぴり鳴いている目覚まし時計を片端から黙らせてもういちど寝ることにした。

おやすみなさい。

「起きてマスター。起きてくださーい」

と、いまではもう聞きなれた声が耳元で。

小さな手のひらが私の肩をゆする感触に、思わず頬が緩みそうになるのをこらえた。もうすこしだけ、寝ているふりをしていよう。

「ほら起きてー。……マスター、朝ですよー。……もう、起こせっていったのはマスターなのに」小さくため息をついて言う。「こうなったらフライパンで!」

ひとり私がにやにや笑いを抑えていると、愛しの同居人はいよいよ武力行使を決意した。さすがに痛いのは困るので私は起きる。

しかしただで起きる私ではない。彼女の意識がキッチンへと向けられた隙をつき、手を取り身体ごと引き寄せた。

「うわわっ」

悲鳴をあげながら私の上に倒れこむ同居人。

互いの吐息が感じられる距離だ。

「おはよう、蒼(あお)。とてもいい朝だね」

「お、おはようマスター。やっぱり起きてたんだね……」

たっぷり三秒ほどの沈黙と視線の交差ののち、先に口を開いたのは蒼だった。

「あのさ、手。離してよ」

そういって私に寄りかかりながら、うっすら頬を染めているのが愛くるしい。

「ああ、そうだった。すっかり忘れてた」

ははは、と深夜の通販番組でよく見かけるわざとらしい笑いを浮かべながら手を離すと、蒼は「もう」と頬をふくらませてキッチンへ向かった。

向かう、と言っても薄っぺらい壁を一枚隔ててすぐ隣だからそんな大仰な動作でもないのだが。

「ごはんできてるから顔あらっておいでよ」

「はーい」

あくびを噛み殺しながら洗面台まで赴き、おざなりに顔を洗い、食卓につく。カーテンの隙間からは鬱陶しいまでの陽光が差し込んでいた。きっと今日もいい天気だろう。あーあ、いっそ雨が降ればいい。

食卓にはサラダにトースト、黄身がふたつのベーコンエッグ、ガーリックスープ、安物の粉のインスタントコーヒーがちょこんと載っている。まずはコーヒーのカップに口をつける。

「いただきます」

……理由はどうあれ、以前の私は朝食を摂らない主義だったらしい。この生活がはじまった当初もこの時間帯はまったく固形物が喉を通らなかったものだ。

が、蒼がそれではいけないと強硬に主張したため、なんとか食事を胃に収める努力をすることになった(ふだん温和な彼女があんなにも目を吊り上げて迫ってきたら、そりゃ従うしかないだろう……)。

かくして、蒼の作る料理が美味しかったこともあってか、いまではそれなりに生活習慣が改善されている。たくさん食べれば元気も出るし彼女の笑顔も見れるとあって一石二鳥といったところ。

向かいに座っている蒼と目があうと、どちらからともなく笑いあったりして、ああ、なんか家族っていいなあ、としみじみ思う。

「ごちそうさまでした」食卓の上のご馳走をたいらげ、お決まりのように私はいう。「いやあ、もう蒼をお嫁さんにもらいたいよ、ほんと」

冗談でもなんでもなく、まぎれもない本音である。

すると蒼はいつものように苦笑しながらこういうのだ。

「あははは。嬉しいな。だけどマスター、ボクは人形だから結婚はできないよ」

……人形。

そう。

私の目のまえで微笑む愛しの同居人は、比喩でも暗示でも表現でもなく、どこからどう見ても人形だった。

彼女はいっそ嘘くさいまでに精巧な造りで、そして生命(いのち)と生命(いのち)を備えている。異様といえば異様だ。こうして寝食を共にしている今でさえ、現実にあり得てよいのかと不思議に感じる。

しかし、――私の内面に恐怖や疑念といった感情が湧くことはない。それどころか信頼と親愛の情で満たされているのは、現在の私の境遇によるところもあるのかもしれなかった。

彼女は私のただひとりの味方だから。

「じゃあ蒼が人間になるのを待つことにしよう。どれくらいかかる? お湯をかけて三分くらい? 言っておいてなんだけれど待つのは苦手なんだよ」

「お湯をかけると人間になる人形だなんて聞いたことがないよ……。あ、ちょっと、ボクの服は大切なものなんだから試そうとしないでよね。怒るよ」

「脱いでるときならいいの?」

「だめ」

冗談で蒼の服に触れようとしたらわりと本気で手をはたかれた。

「うーん、それは弱ったな。だったら逆転の発想で私が人形になるのはどうだろう」

「――マスター」

「ほら、私ってよくお人形さんみたいって言われるし、自慢する気はないけど蒼と並んでも遜色ないていどには――」

「マスター」

「……、わかった」

調子に乗りすぎてしまった。

蒼は感受性がつよいのか、死や壊れるといった話題を好まない。私自身がそれに関わる話だと特に悲しそうな表情をするから、いつもは気づいたところで私のほうから話を逸らすのだが。

……彼女は、人形になるのは生命を失うことと捉えているのかもしれない。蒼自身は生きているのに矛盾しているとは思う。


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