青色えのぐ


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ミルキーウェイ(みるきーうぇい)4

雨が降りだすのとほぼ同時に目的の洋菓子店にたどり着いた。

道中、存在意義に則り私が爽やかな笑顔で「(花束を)お持ちしますよお嬢さん」と申し出たのだけれど、氷室は「いらない」とむげに断るのだった。

その大切そうに抱えられていた花束はというと、洋菓子店につくなり勝手知ったるなんとやらで氷室がカウンターの奥にある部屋へと入ったかと思えば、戻ってきたときには消えている。

「まあ座りなさいよ」

言って、氷室は私にガラス越しに外が見える席を勧める。

「は、はあ……」

ここは基本、洋菓子店であるようだが、店内で食べていけるようにもなっていて、店の規模に相応なこぢんまりとした飲食席がある。

まわりを見ても客の姿はなく、ひたすらがらんとした印象を受ける。小ぎれいな空間にクラシックのBGMだけがひかえめに主張しており。

氷室の手にはいつの間にやらショートケーキとコーヒーが載ったトレー。これは大胆かつ豪快に店の商品を持ちだしたものだ。私は彼女がおそろしい。

「氷室さんって、ウエイトレスさんだったんですか。とてもさまになっていて格好いいですね。いいなあ憧れるなあ」

「さて、ね」

私の正面に氷室がかける。

ケーキの皿とコーヒーカップをそれぞれの前に置いて、

「砂糖は何個?」

尋ねてきた。

「……え?」

「だから砂糖。わたしのぶんを出すついでにあんたにも出してやろうかと思ったけど、ところがわたしはあんたがどれくらい砂糖を入れるのか知らないから、こうして訊いているわけ。一個? それとも二個?」

「それはどうも。……四個で、おねがいします」

氷室はトングで器用に角砂糖をつまみ、受け皿にひょいと並べてゆく。彼女のが一個。私のに四個。

彼女はクリームを入れない主義なのかビンに一切手を触れることなく、私に量を問うことはなかった。習慣にないから、意識にすらのぼってないのだろう。

まあ私はそもそも紅茶派なのでどうでもよいけれど。

「どうぞ」

「どうも」

氷室がおもむろにフォークを手にして、ケーキを削りとると少しずつ口に運ぶ。

私はコーヒーに角砂糖を片端から投げ込み、スプーンで乱雑にかき混ぜる。

ガラス越しにそとを見遣れば雨足は強くなっていて、水滴が地を打つ音が聞こえてきそうだ。街のややはずれという立地のせいもあり通りにも人影はほとんどない。せめてもうすこし海のほうに近ければ、それだけで海辺が見える喫茶店として繁盛したかもしれないのに。

私が無心でコーヒーをかき混ぜていると、不意に氷室が問いかけてきた。

「あんた――、いつもおなじ服を着てるけど。なんで?」

「ちょっ、それだとまるで私が一着の服をずっと着たきりですごしているみたいじゃないですか。そんなことはないですよ。おなじデザインのが何着もあるんです。そんでちゃんと毎日着替えてます、上から下まで。心配なさらずとも」

私が己が名誉のため釈明するも、氷室はどうでもよさそうに「へえ」と抜けた相づちに、質問を重ねる。

「あんた、ほとんど毎日どこか出歩いてるけど、なにしてるの? おもしろい?」

「ほんの気分転換ですよね。どうにも私はじっとしているのが苦手な性質なようでして。運動が得意かっていうとそうでもないんですけれどね。ちなみに有酸素運動はダイエットにもいいらしいです」

ふうん、と氷室。

「滞在の予定はどれくらい?」

「いやあ、期間はとくに考えてないですねえ。時間が許すかぎりのんびりしていきたいと思いますが」

彼女は、私を通り越してはるか私の後方を眺めているようにも、見える。

「ところで、あんたの名前のこと訊いてもいいかしら」

「……名前ですか? いいですよ。由来とか名付け親だとか、そういった? でしたらなんらむずかしいことはありません。じつは私の父の弟の母の知り合いがスーパードクターの――」

「いいえ」

私の言葉を遮って氷室が言った。

 

「あんたのほんとうの名前を、教えてくれるかしら?」

 

「……ほんとうの名前、ですか。それはまた哲学的な問いになってきますね。つまり戸籍上の記録でなく、生まれもって魂につけられた、いわゆるソウルネームという解釈でよろしいですね」

「いや――ふつうに戸籍上のでいいわ」

……氷室の目は、笑っていない。

口元だけかろうじて微笑みの体裁を保っている。

見えない圧力。

彼女は、表情とは裏腹に剣呑なことを考えているのかもしれない。

やはり初日の騒動をいまだ不審に考えているのだろうか……。まあ、“ケイ”の名もいまとなっては私の一部であり、気に入っているのも事実だから後悔はしていないが。

ほかにやりようがあったとしたら惜しいかぎりだ。

「それは――」

例によって例のごとく私が返答に窮していると、氷室が間をもたせるように言葉を継ぐ。

「あんた、どう見積もったって二十歳(はたち)くらいでしょ。下手したらサヤとおんなじくらいにも見える。そんなガキが、こんな街で、なにをしているの?」

私は、答えられない。

「そのお芝居みたいな喋りかたとか、わざとらしい身振りとか、言っちゃなんだけど怪しすぎるのよ。……気づいてる? あんた、なにかをごまかそうとしてどうでもいいことを喋ってるとき、左のほっぺが引きつってるんだけど」

「――っ!」

この生活がはじまってからというもの私は自身の挙動のひとつひとつにでき得るかぎり注意をはらい自然さを装ってきたつもりだが、……ぼろぼろじゃないか。せめて氷室の勘がよすぎるだけだと願いたいが……。

「その服のセンスだってなんかおかしいし――」

「衣服の好みについては大きなお世話です!」

口答えはできた。

でも好転はしていない。

「あらそう。気を悪くしたなら言い換えるわ。……『あんたの部屋に鏡はないの?』って」

「――氷室さんは、」

私は力なくため息をついて単刀直入に尋ねる。

「氷室さんは、素性が知れないから、私のことがきらいなんですか?」

「……はあ?」

氷室は意外そうに目をみはり、コーヒーを一口すすった。

「心外ね。べつにわたしはあんたがきらいってことはないわ。“お客さま”であることを差し引いたって歓迎しているつもりでいる。――ただ、単に気に食わないってだけ。それだけよ」

かちゃり、とコーヒーカップが受け皿に戻される音が、やけに大きく感じる。

「だからこれは二度めの質問になるけれど」

私の一挙一動を見逃すまいとだろう、氷室は私を正面に見据え、

「――あなたはいったいどちら様なんでしょうね?」

「いや……その質問は、三度めですね」

「どうでもいいわ」

「ですか」

私は彼女の射抜かんばかりの視線を受け止めて。

それでも私が無言でいると、氷室がため息をついた。

「なにその目は。まるでわたしがあんたを虐めてるみたいじゃない。気に食わない。……気に食わないわ。まるでわたしが悪いみたいじゃない」

氷室が口を尖らせて不服そうに訴える。

「わたしはただ、どこからどう見ても怪しげなやつがいきなり現れて、サヤに近づくのが許せないだけなのに。どこからどう見ても怪しいほうがいけないのに。こんなのおかしいわ」

えーと……。

……なにこれ?

「なんとか言いなさいよ!」

氷室はひどく取り乱している。

初めて夕凪と出会って雪割荘につれてきた日も、そういえばこんな感じだった。

要するに、私が夕凪に近づくのが気に入らないと? どこの馬の骨とも知れんやつが、っていうあれ? そんな馬鹿な……。

拍子抜けしながらも私は確認してみた。

「それはつまり――、娘を想う父の気持ちってやつですか?」

「妹を想う姉の気持ちと表現してくれるほうが、より適切ね」

……勘がよくても焦点がずれている、という感じだろうか。このひとは。

安堵するとともにどっと疲れがきた。

「そうですか、それは失礼。……たしかにいまの私には氷室さんたちに隠していることがあります。ですが、こう言うほかありません。『この目を見て信じてくれ』、としか」

左の頬に意識を向けながら私は言った。

 

◆ ◆ ◆

 

改めて考えてみると、さあこれから甘いケーキを食べようという段でコーヒーに角砂糖を四個も入れたら、明らかに多い。

なので、二口ぶんほどしか削っていない私のケーキが、氷室に颯爽とかっさらわれたことでむしろ甘ったるさを苦にせず済んだ、……というふうに脳内で処理して、いつかひとりで再訪しよう。

不毛な問答で疲労を蓄積させ徒労を感じたのは氷室も同様だったらしい。

彼女は(私の)ケーキを平らげるとあくびを噛み殺しながら帰宅宣言をして、ふらつきながら立ち上がり、本来の目的である“注文しておいたケーキ”をどこからともなく取り出して。

結局、店員の姿は見れなかったけれど、そして、帰り道。

簡素な意匠のケーキ箱を片手に、私は氷室と並んで歩いている。

「雨あがりましたねえ、氷室さん。よかったよかった。私は雨は好きだけど濡れるのはあまり好きじゃなくて。シャツが背中に張りつくと本当、最悪ですよね。あれはあり得ない」

「傘さしなさいよ」

「そんなもん刺したら危ないじゃないですか」

「なにを刺すつもりなのよ」

「傘に決まってるじゃないですか」

私の右隣にいる氷室はだるそうに、億劫そうに歩いている。低血圧というやつだろうか? いつもはぐったりしているであろう時間に外出してまで私に牽制をかけるあたり、夕凪への深い愛情が見受けられる。

……やや偏っている感があるにしても。

なんだかそういうのっていいなあ、と思う。

ところで帰路は花屋を経由しないぶんだけ歩く距離がみじかい。寂れた公園の遊歩道を突っ切るかたちになるが、雨が降ったせいか、知られていないからか、公園内には見渡すかぎりまったくひとけがない。洋菓子店につづいてちょっとした独占状態だ。

ここ数日は街中で嫌々ながらも人間の多いところばかり探索していたから、これはこれで新鮮だった。

自然と私の歩調は早まり、前へ前へと進む。

世界にだれもおらずそこには自分ひとり、だなんて光景を思い浮かべると、世界のすべてが手に入ったような気がして、なんだかわくわくしてこないか?

「あ、……氷室さん」

私が声をかけると氷室の「うん?」と緩慢に、気の抜けた返事といつもの死んだお姫さまのような眼差しがこちらによこされる。本当に疲れているらしい。

私たちの足元には、やや色あせたタイルが幾何学模様を描き広がっている。延々と遊歩道に敷き詰められ、道しるべにもなっているそれらは、雨上がりのあとということもあって乾ききっていない。

「そこ、段差になってるから気をつけて――」

私の言葉と氷室がすっ転んだのがほぼ同時だった。


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