青色えのぐ


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目覚めの確認(めざめのかくにん)3

立ち読みしていたら冷風の直撃にやられ、たまらずコンビニを後にした。身体が冷えて仕方がない。

汗だくのまま放っておいたのがおもな敗因だ。つぎからはきちんと汗を拭くことにする。衛生面もそうだが見た目からしてもその方が好ましいだろう。

相変わらずの陽気だが幸いなことに日陰に入ってしまえば体感温度はかなり下がった。コンビニで手に入れたソフトクリームをかじりながら、公園の屋根つきベンチで時間を潰す。

片手には新聞紙。ちょっとした思いつきで棚に並んでいた新聞という新聞を種別を問わず片端から買ってきたものだ。

隅から隅まで、注意深く文字を追う。

「…………」

まあ、期待しているような情報は載っていないけれども、後々役に立つ可能性だってあるかもしれない。こういうときの直感は意外と重要だったりするのだ、たぶん。

「元気だなあ」

公園なだけあり、子供たちがきゃあきゃあ騒ぎながら駆け回っている。こんなくそ暑い中、溢れんばかりの活気があまりに目にまぶしく、もしかしたら何か別種の生命体ではないのかと一瞬考えたけれども同時に彼らにかなり失礼だと気づいたので撤回した。

その子供らの母親と思しき人たちはというと私と同じように日陰で涼んで井戸端会議だ。盛り上がっているその様子はとても仲がよさそうで、……ああ、別種といえば別種なのか。だって、あいだで線を引いたら私はまちがいなく母親たちの側だろう。

あーあ、若さってすばらしい。

特に意味もなくため息が出る。

首をもたげ、地面から生えている大時計を見れば十五時を回ろうとしている。太陽の攻勢も勢いを失い、あとは徐々に気温が下がってゆくだろう。探検の再開にはうってつけかもしれないが、だけれど帰路に費やす体力を考えたらあまり遠くに行くのは考え物だった。

もうすこしで新聞にあらかた目を通し終わるし、そしたら戻ることにしようか――

「ん?」

視線、を感じた。だれかがこちらを見ている。

……いつものあの夢もそうだが、ここ数日、日課で街にくり出すとたいてい同じような感覚がする。私にはまったく覚えがないが、誰かに見張られているような気がしてならないのだ。

が、そっと視線を向けるとなんてことはない、先ほど元気よく遊んでいた子供のひとりが立っているだけだ。

「……考えすぎだな」

子供は――遠目にも服装から女の子であるとわかる――、私と目が合うなり笑顔で駆け寄ってきた。なんというかそう、新しいおもちゃを見つけた、みたいな感じで。

「ねえねえ何してるのー?」

「ん、ちょっとお勉強をね」

「おべんきょう?」

言いながら女の子が私の隣に腰掛けた。疑うことをまるで知らない瞳で、私の目を覗き込んでくる。……無防備だなあ。知らない人に話しかけたらダメとか教育されていないのかな……。

「そ。お勉強。そういうきみは何をしているのかな? お母さんは?」

井戸端会議のほうを見れば、いつの間にやら母親たちは各々の子供をつれて撤収したあとのようだ。この子だけ取り残されたのか? 公園を見渡すと人影がなくなっている。

一瞬、迷子だろうかと考えがよぎる。

よくよく事情を訊いてみると彼女の母親は買い物中で、この公園で待ち合わせをしているのだという。たしかに子供にしてみれば同年代の子と遊んでいた方が退屈でないかもしれないけれど。

こういう好奇心でいっぱいのお年頃の子を野放しにするのはいかがなものかと、私は思うのだ。

というか暑いからくっつくな。せめて裾から手をはなせ。

私が無言で引き剥がそうとすると、きゃあきゃあ言って喜ぶ始末だ。どうやら懐かれてしまったのかもしれない。

やれやれ、もう少しだけ時間を潰すのも悪くないか……。

「そんなことより」

彼女の顔についた砂。汗で泥状になっている。

元気なのはよろしいが、迷彩模様の日焼け跡だなんて想像するだけで嫌すぎた。そして悲劇を食い止められるのは自分しかいないという使命感が私を衝き動かす。

「きみ、手を洗ってきなよ。あと顔も」

女の子は渋ったが「お母さんにいいつける」と言ったとたん水飲み場に駆けて行った。可愛らしいものだ。

「あのね、きみ。ハンカチは?」

「ないよ!」

なぜ水浸しのままでいるのかと思えばこうだ。どうせすぐに乾くからよいのだが、しかしこれだけは言っておかねばなるまい。

「立派なレディはハンカチとちり紙をいつだって持ち歩くものなんだよ」

女の子は興味深げに首をかしげる。

「れでぃ?」

「そう。レディ。――それじゃあ、これをあげよう」

白地を青い刺繍で縁取るハンカチ。それなりによい素材で私のお気に入りでもあるけれど、彼女に立派な淑女への第一歩を踏み出してもらうためと思えば一枚や二枚進呈したところでお釣りがくる。

「大切にしてね」

「うん!」

その後、一時間くらい経ってから母親が迎えに来た。

夢中になって喋っていた女の子も公園の外に母親の姿を確認するなり駆けていってしまう。やたら元気よく手を振ってきたのでこちらも適当に手を振り返しておく。

「……ずいぶん懐かれてしまったものだ」

そういや名前を訊き忘れたなあ、なんて考えながらももう会わないからまあいいかと、あっさり気分を切り替える。いかに体力を温存しつつ無事にもどりおおせるかが目下のところ重要事項。

じつはご近所さまでした、なんていう偶然はいくらなんでもないはずだ。

偉そうにも淑女講義をした手前もあって、自分で出したゴミをくずかごに放り込んでおくのも忘れない。新聞紙は……、かさばって仕方ないから捨てていくか。


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