青色えのぐ


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目覚めの確認(めざめのかくにん)4

とぼとぼとねぐらを目指して歩いていると何やら自転車の耳障りなブレーキ音が後方で響いた。続いてこちらに駆け足で迫りくる気配と、

「ケ・イ・さーん!」

元気いっぱいに私の名を叫びながら、わりとものすごい勢いでうしろから抱きついてくるその声の主は、なんと驚き、私の隣室の住人である夕凪(ゆうなぎ)だった。

なにが驚きって、まるで待ち構えていたのかと疑う唐突な登場もさることながら、わざわざ自転車から降りてまで飛び掛ってくるその根性。ふつうに追い抜きざまに挨拶すればいいじゃない……。

「ケイさんだー!」

人違いだったらどうするの?

汗だくのシャツが背中に張り付いて、というか彼女の胸ごと押し付けられて体感温度が急激に上昇。ほんの数日まえに知り合ったばかりだというのにやけに懐かれ、隙あらばこうして夕凪に体当たりされている。

「ねえ夕凪ちゃん――」

「サヤです!」

「サヤちゃん、……元気がいいのはわかったからとりあえず離れてよ」首にかかった手を振りほどきながら私はいう。「汗かいて汗かいて大変なことになっているんだ」

すると夕凪は「そんなの、あたしも汗かいてるからお互いさまですよぅ!」とか訳のわからないことを口走っていた。……ああ、もうだれか。

「こんなところで何をしてるんですか!」

「いつものことさ。私の平和のためにパトロール活動をね。そういうきみは?」

「学校の帰りです! なんとなくふらふらしていたらケイさんを見つけて。ああもう、なんという運命的な!」

「なんという偶然だろう」

どこか作為的なものを感じる偶然だった。

きゃーきゃー言いながら私の腕をつかもうと伸びてくる夕凪の魔の手を防ぎつつ、

「これもきっと神のお導きだね。きみの後ろ、乗せていってくれないかな」

彼女の好意を利用するようで気が引けるが、彼女にしてみても徒歩の私につきあって汗だくになるのは本意ではないだろう。言ってみりゃ持ちつ持たれつというやつだ。いやちがうか。

「ええ、もちろん! ケイさんの頼みならなんだって!」

そんな応酬のあいだに腕を取られて腕組みされてしまう。暑いったらないが私という荷物を運搬してもらうのだからこのくらいは代価としてくれてやってもいいか……。

夕凪のうしろ、いわゆるママチャリの荷台に腰掛けてみると私は思わず息を呑んだ。なんだろうこのフィット感は……抜け落ちていたかけらを見つけたような心の充足と安息と、そう、私がここに座ることがはるか昔から定めら――

「さあ、もっとつかまって! ぎゅっと抱きしめて!」

「いいからすこし黙るんだ」

商店街が近いこともあってか人通りが少なくもなく、特異な行動をする者が注目を集めるのは自然な成り行きだった。

どうやら夕凪は視線に伴う痛みと無縁の人物らしい。

妄想でもしなければやっていられない。

「行きますよー」

言って夕凪がペダルをこぐと自転車はぐんぐん進み、景色が流れて去ってゆく。吹き抜ける風が心地よかった。

時おり段差でひどく揺れる。かといって夕凪に抱きつくのは気恥ずかしく、なんとか自身でバランスを取るのだが夕凪はわざと段差を選んでいる節があり、まったく油断のならないやつだ。

あとで覚えていろよ。

風に揺られる夕凪の髪を眺めながら決意する。

「ケイさんケイさん! あたしアイス買ってきたんですよ! あとで一緒に食べましょう!」

「いいねえ」

とても魅力的なお誘いだ。心得ている。もしかしたら夕凪は何かふしぎな力でもって私のアイスの買い食い癖を見抜いているのかもしれない。

「ぜひお供したいね。でもシャワー浴びるのが先かな」

「ケイさん! でしたら背中を流しっこしましょう!」

「えーと亡くなった祖父の遺言でね。『結婚するまで素肌を晒してはならない』って言いつけられてしまったんだ」

「そ、そうなんですか。たいへんですねえ。だからそういう格好なんですか。暑そうだなあって思ってたんですけど、そんな大切なお話が」

「難儀なものさ。もう、……古風というか、いったいなにを考えてるんだろうね。ほんとうに言いつけを守るほうの身にもなってほしいよ」

真実、同情しているとわかる夕凪の声音にすこしばかり良心が咎めないでもなかったが、この際それには目を瞑ろう。

ちなみにこの物語はフィクションであり、実存する人物、団体等とはいっさい関係がありません。だって言いつけも何も祖父の存在からして私は知らない。

それどころか言葉どおりに“自身のことさえわかっていない”。


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